出資から2歳戦|アーモンドアイとの4年間(1)
2020年11月29日16時前。ついにその時が来てしまいました。アーモンドアイのラストラン。とにかく無事に帰ってきてほしい。「そんなことを心配しないでも大丈夫!」とでも言うように、絶対女王は未来を託した王子と王女を従えて、大好きな東京競馬場で今まで積み上げて来たG1勝利のキャリアを締めくくるような凱旋パレードを披露してくれました。勝利の喜びと、無事に競走馬としてのキャリアにピリオドを打てた安堵の後には、アーモンドアイロス、喪失感でいっぱい。抜け殻のようになっております。そんな出資会員のアーモンドアイとの4年間の思い出を綴っていきたいと思います。
2016年7月(もしかするとこの年の募集はまだ9月だったかも)。シルクの1歳馬募集となり、カタログが到着しました。そこからアーモンドアイとの物語の始まりです。シルクの会員になったのは、前年のGW明けくらい。その時の2歳馬の追加募集からで、同年9月には牧場ツアーに初参加、その年の1歳馬は、なんとフランケル(!)とハーツクライのともに牝馬に出資とあいなりました。(結果、フランケルは未勝利、ハーツクライは鼻出血の発症などもあり、休み休み走って2勝)2年目、3世代目の出資となったのが後にアーモンドアイとなるフサイチパンドラ15でした。ステイゴールドのラストクロップ、ロードカナロアの初年度産駒の募集があり、その両馬の産駒に行きたいとは思っておりました。私は牡牝に限らず、1頭3000万円まで、という縛りをかけています。なので、同時に募集されていたインディチャンプには手を出せませんでしたが、もっと安い価格での募集だったブラストワンピースは売れ残っていたので行けたはずです。残念なことをしました。
カタログ、発表されたサイズでは、フサイチパンドラ15は華奢な印象で、値段も3000万円と私のリミット上限。母はG1馬ですが、きょうだいはお世辞にも活躍してはいません。ちょっと高いし、行かないかな~という感じでした。ところが、牧場ツアーで実馬を見て、180度印象が変わりました。賢そうな目つき、凛としたたたずまい、ぴっかぴか、ビロードのような毛艶。私は繋ぎがどうの、飛節がどうの、ヨロの大きさがどうの、という馬体の見方は詳しくわかりませんが、クラスに一人いるよね~というような可愛く美しい女の子でした。歩く姿もとてもしなやかでバネがありそう。まあ、それでノーザンファームの方に訊いても(セールストークだろうけど)「良い馬ですよ~」と。人気は最初の募集では満口ちょっと超えるくらいで、抽選で外れた人も少ないかと思われます。
1歳~2歳と順調に育成されていましたが、2017年のPOG本などでは特に大きく扱われることもなく、私もPOGでは7位で行こうと紙に書いたところで、ラッパさんに同巡に取られてしまいました(涙)。クラブのレポートでも、淡々としか書かれておらず、こんな大物になるとは想像もつきませんでしたね。あのころは。
2歳夏の新潟、新馬戦は出遅れて2着。でもこれには言い訳があります。近くの枠に、とてもゲート入りの悪い馬がいて、スタートに時間がかかり、アーモンドアイが「早くしなさいよ!」とそっちをにらんだときにゲートが開いたのです。そりゃあ、しょうがないよ。
2戦目は9月の中山を予定していました。しかし馬房でぶつけたのか脚元が腫れ、10月の東京にスライド。東京の芝1600メートル。未勝利戦ながら見事な快勝でした。このレースを見て、私は競馬好きなスタッフ女子に「来年は、いっぱい美味しいもの奢ってあげられるよ(笑)」と自慢しておりました。クラシック戦線に乗って、うまくいけば牝馬限定重賞を一つくらい勝って、三冠本番でも穴人気なんかになって、1~2回掲示板に乗れる。古馬まで活躍できて、もう一つくらいオープンや重賞勝てればいいな~。そう、以前出資したアプリコットフィズくらいのイメージでした。
この後は2歳女王を目指すかと思ったのですが・・・。脚元の不安は9月に打撲だと思われる腫れだけで、特に心配するようなことはなかったと思いきや、意外なことが。クラブのレポートには調教タイムと、その後の馬体重がていねいに記載されています。それを見ていると、ちょっと調教を強くすると馬体重が減ってしまい、ペースを落とさざるを得ない感じが読み取れるのです。募集時に持った華奢な印象がここに出てしまったのかな? 11月にもう1戦使ってからジュベナイルフィリーズというローテが取りたくても取れなった、というのが本当のところじゃないでしょうか。新馬戦から桜花賞まで少しずつですが、全て体重減で出走しています。陣営の苦労が偲ばれます。国枝厩舎~ノーザン天栄の連携があったからこそ、なんとかギリギリ馬体をキープできたのでしょう。逆に言うと、2歳時に無理しなかったから、3歳から5歳秋までの長い期間活躍できたのではないかと思います。使えるレースはどんどん使う、でしたら2歳時に消耗してしまい、クラシックもなかったかも。
NEXT 1. 唯一無二で背水の陣? 奇跡のローテ トリプルティアラ
2020年11月29日16時前。ついにその時が来てしまいました。アーモンドアイのラストラン。とにかく無事に帰ってきてほしい。「そんなことを心配しないでも大丈夫!」とでも言うように、絶対女王は未来を託した王子と王女を従えて、大好きな東京競馬場で今まで積み上げて来たG1勝利のキャリアを締めくくるような凱旋パレードを披露してくれました。勝利の喜びと、無事に競走馬としてのキャリアにピリオドを打てた安堵の後には、アーモンドアイロス、喪失感でいっぱい。抜け殻のようになっております。そんな出資会員のアーモンドアイとの4年間の思い出を綴っていきたいと思います。
2016年7月(もしかするとこの年の募集はまだ9月だったかも)。シルクの1歳馬募集となり、カタログが到着しました。そこからアーモンドアイとの物語の始まりです。シルクの会員になったのは、前年のGW明けくらい。その時の2歳馬の追加募集からで、同年9月には牧場ツアーに初参加、その年の1歳馬は、なんとフランケル(!)とハーツクライのともに牝馬に出資とあいなりました。(結果、フランケルは未勝利、ハーツクライは鼻出血の発症などもあり、休み休み走って2勝)2年目、3世代目の出資となったのが後にアーモンドアイとなるフサイチパンドラ15でした。ステイゴールドのラストクロップ、ロードカナロアの初年度産駒の募集があり、その両馬の産駒に行きたいとは思っておりました。私は牡牝に限らず、1頭3000万円まで、という縛りをかけています。なので、同時に募集されていたインディチャンプには手を出せませんでしたが、もっと安い価格での募集だったブラストワンピースは売れ残っていたので行けたはずです。残念なことをしました。
カタログ、発表されたサイズでは、フサイチパンドラ15は華奢な印象で、値段も3000万円と私のリミット上限。母はG1馬ですが、きょうだいはお世辞にも活躍してはいません。ちょっと高いし、行かないかな~という感じでした。ところが、牧場ツアーで実馬を見て、180度印象が変わりました。賢そうな目つき、凛としたたたずまい、ぴっかぴか、ビロードのような毛艶。私は繋ぎがどうの、飛節がどうの、ヨロの大きさがどうの、という馬体の見方は詳しくわかりませんが、クラスに一人いるよね~というような可愛く美しい女の子でした。歩く姿もとてもしなやかでバネがありそう。まあ、それでノーザンファームの方に訊いても(セールストークだろうけど)「良い馬ですよ~」と。人気は最初の募集では満口ちょっと超えるくらいで、抽選で外れた人も少ないかと思われます。
1歳~2歳と順調に育成されていましたが、2017年のPOG本などでは特に大きく扱われることもなく、私もPOGでは7位で行こうと紙に書いたところで、ラッパさんに同巡に取られてしまいました(涙)。クラブのレポートでも、淡々としか書かれておらず、こんな大物になるとは想像もつきませんでしたね。あのころは。
2歳夏の新潟、新馬戦は出遅れて2着。でもこれには言い訳があります。近くの枠に、とてもゲート入りの悪い馬がいて、スタートに時間がかかり、アーモンドアイが「早くしなさいよ!」とそっちをにらんだときにゲートが開いたのです。そりゃあ、しょうがないよ。
2戦目は9月の中山を予定していました。しかし馬房でぶつけたのか脚元が腫れ、10月の東京にスライド。東京の芝1600メートル。未勝利戦ながら見事な快勝でした。このレースを見て、私は競馬好きなスタッフ女子に「来年は、いっぱい美味しいもの奢ってあげられるよ(笑)」と自慢しておりました。クラシック戦線に乗って、うまくいけば牝馬限定重賞を一つくらい勝って、三冠本番でも穴人気なんかになって、1~2回掲示板に乗れる。古馬まで活躍できて、もう一つくらいオープンや重賞勝てればいいな~。そう、以前出資したアプリコットフィズくらいのイメージでした。
この後は2歳女王を目指すかと思ったのですが・・・。脚元の不安は9月に打撲だと思われる腫れだけで、特に心配するようなことはなかったと思いきや、意外なことが。クラブのレポートには調教タイムと、その後の馬体重がていねいに記載されています。それを見ていると、ちょっと調教を強くすると馬体重が減ってしまい、ペースを落とさざるを得ない感じが読み取れるのです。募集時に持った華奢な印象がここに出てしまったのかな? 11月にもう1戦使ってからジュベナイルフィリーズというローテが取りたくても取れなった、というのが本当のところじゃないでしょうか。新馬戦から桜花賞まで少しずつですが、全て体重減で出走しています。陣営の苦労が偲ばれます。国枝厩舎~ノーザン天栄の連携があったからこそ、なんとかギリギリ馬体をキープできたのでしょう。逆に言うと、2歳時に無理しなかったから、3歳から5歳秋までの長い期間活躍できたのではないかと思います。使えるレースはどんどん使う、でしたら2歳時に消耗してしまい、クラシックもなかったかも。
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2020年11月29日16時前。ついにその時が来てしまいました。アーモンドアイのラストラン。とにかく無事に帰ってきてほしい。「そんなことを心配しないでも大丈夫!」とでも言うように、絶対女王は未来を託した王子と王女を従えて、大好きな東京競馬場で今まで積み上げて来たG1勝利のキャリアを締めくくるような凱旋パレードを披露してくれました。勝利の喜びと、無事に競走馬としてのキャリアにピリオドを打てた安堵の後には、アーモンドアイロス、喪失感でいっぱい。抜け殻のようになっております。そんな出資会員のアーモンドアイとの4年間の思い出を綴っていきたいと思います。
2016年7月(もしかするとこの年の募集はまだ9月だったかも)。シルクの1歳馬募集となり、カタログが到着しました。そこからアーモンドアイとの物語の始まりです。シルクの会員になったのは、前年のGW明けくらい。その時の2歳馬の追加募集からで、同年9月には牧場ツアーに初参加、その年の1歳馬は、なんとフランケル(!)とハーツクライのともに牝馬に出資とあいなりました。(結果、フランケルは未勝利、ハーツクライは鼻出血の発症などもあり、休み休み走って2勝)2年目、3世代目の出資となったのが後にアーモンドアイとなるフサイチパンドラ15でした。ステイゴールドのラストクロップ、ロードカナロアの初年度産駒の募集があり、その両馬の産駒に行きたいとは思っておりました。私は牡牝に限らず、1頭3000万円まで、という縛りをかけています。なので、同時に募集されていたインディチャンプには手を出せませんでしたが、もっと安い価格での募集だったブラストワンピースは売れ残っていたので行けたはずです。残念なことをしました。
カタログ、発表されたサイズでは、フサイチパンドラ15は華奢な印象で、値段も3000万円と私のリミット上限。母はG1馬ですが、きょうだいはお世辞にも活躍してはいません。ちょっと高いし、行かないかな~という感じでした。ところが、牧場ツアーで実馬を見て、180度印象が変わりました。賢そうな目つき、凛としたたたずまい、ぴっかぴか、ビロードのような毛艶。私は繋ぎがどうの、飛節がどうの、ヨロの大きさがどうの、という馬体の見方は詳しくわかりませんが、クラスに一人いるよね~というような可愛く美しい女の子でした。歩く姿もとてもしなやかでバネがありそう。まあ、それでノーザンファームの方に訊いても(セールストークだろうけど)「良い馬ですよ~」と。人気は最初の募集では満口ちょっと超えるくらいで、抽選で外れた人も少ないかと思われます。
1歳~2歳と順調に育成されていましたが、2017年のPOG本などでは特に大きく扱われることもなく、私もPOGでは7位で行こうと紙に書いたところで、ラッパさんに同巡に取られてしまいました(涙)。クラブのレポートでも、淡々としか書かれておらず、こんな大物になるとは想像もつきませんでしたね。あのころは。
2歳夏の新潟、新馬戦は出遅れて2着。でもこれには言い訳があります。近くの枠に、とてもゲート入りの悪い馬がいて、スタートに時間がかかり、アーモンドアイが「早くしなさいよ!」とそっちをにらんだときにゲートが開いたのです。そりゃあ、しょうがないよ。
2戦目は9月の中山を予定していました。しかし馬房でぶつけたのか脚元が腫れ、10月の東京にスライド。東京の芝1600メートル。未勝利戦ながら見事な快勝でした。このレースを見て、私は競馬好きなスタッフ女子に「来年は、いっぱい美味しいもの奢ってあげられるよ(笑)」と自慢しておりました。クラシック戦線に乗って、うまくいけば牝馬限定重賞を一つくらい勝って、三冠本番でも穴人気なんかになって、1~2回掲示板に乗れる。古馬まで活躍できて、もう一つくらいオープンや重賞勝てればいいな~。そう、以前出資したアプリコットフィズくらいのイメージでした。
この後は2歳女王を目指すかと思ったのですが・・・。脚元の不安は9月に打撲だと思われる腫れだけで、特に心配するようなことはなかったと思いきや、意外なことが。クラブのレポートには調教タイムと、その後の馬体重がていねいに記載されています。それを見ていると、ちょっと調教を強くすると馬体重が減ってしまい、ペースを落とさざるを得ない感じが読み取れるのです。募集時に持った華奢な印象がここに出てしまったのかな? 11月にもう1戦使ってからジュベナイルフィリーズというローテが取りたくても取れなった、というのが本当のところじゃないでしょうか。新馬戦から桜花賞まで少しずつですが、全て体重減で出走しています。陣営の苦労が偲ばれます。国枝厩舎~ノーザン天栄の連携があったからこそ、なんとかギリギリ馬体をキープできたのでしょう。逆に言うと、2歳時に無理しなかったから、3歳から5歳秋までの長い期間活躍できたのではないかと思います。使えるレースはどんどん使う、でしたら2歳時に消耗してしまい、クラシックもなかったかも。
NEXT 1. 唯一無二で背水の陣? 奇跡のローテ トリプルティアラ